能登半島へ行っておりました。
投稿日:2024.03.11今年の1月1日に起きた、能登半島沖地震の影響で
今も震源地に近かった珠洲市や輪島市では、断水している地域が多数ある状況ですが
先月の22日~28日の7日間(移動日が2日なので実作業は5日間でした)
川崎市建設業協会からの要請で、断水の続いていた志賀町に
多摩区の3社より6人選抜し、多摩特設作業隊を編成し
川崎市上下水道局(今回は水道復旧として)と共同で水道管の復旧作業に行っておりました。
当社からは、私と29歳若手職長のM君の二人、その他2社より、各3名、1名の、総勢6名の選抜隊
3tがダンプ2台(1台には0.1㎥のバックホウを積載)と、2tの道具車と言う布陣で現地まで。
川崎から能登半島までは、ルートにもよりますが、片道約450㌔~500㌔の道程
バックホウなどを積載している事や、途中からは降雪地域と言う事も有り、平均速度が遅い為
行きは約10時間掛けて何とか現地入り。
集合場所の志賀町役場に到着した時には、無事に到着出来てホッとすると同時に
途中で見かけた被災家屋や道路の状況に、身が引き締まる思いでした。
志賀町役場で翌日の打合せ後、作業の拠点となる宿泊施設へ移動し、翌日からの作業に備えました。
翌日からの作業は、道路に埋設されている水道本管の漏水を調査し、修理可能な箇所は修理しつつ
道路が完全に陥没などで寸断されている箇所については、仮設水道管を地上に配管し
排水施設から居住区域迄「飲み水」を通して行く作業となりました。
上の画像は、水道局職員さんが、探知機で漏水の調査をしている所です。
配水施設から山間部を抜けて、漏水確認、通水、洗浄をしながら住宅街の方に向けて作業を進めて行ったのですが
途中は山間部ですので、道路の損傷具合程度しか自信の被害確認が出来なかったのですが
住宅地域に入ると・・・
・・・損壊した家屋ばかりの光景に、地震被害の大きさを実感し
こんな状況下で、約2カ月も水道が使えない被災地の方々の苦労が偲ばれ、一刻も早く
一軒でも多くの方に、水道を使えるようにしたい!そんな思いが湧き上がりました。
住宅街に入ってからの作業は、各家々のメーターボックスの位置の確認と、止水栓が閉栓されている事
を確認後に、本管に通水し漏水確認。
本管に問題が無ければ、本管に水を流して、消火栓などで溜まったエアーや汚れを取り除き
各戸を一軒一軒訪ねて声をかけ、メーターボックス内の止水栓を開けて通水し
宅地内での破損による漏水が無ければ、水道が使えるようになった事を説明(水質検査実施前なので
この時点では飲用は不可でしたが)
トイレや風呂が「普通に使える」ようになると説明し
残念ながら、地震の影響で宅地内で破損してしまっている方には、ビラと口頭で、水道屋さんに連絡
をして、修理をして貰って下さいと説明。
震災後2カ月もの間、雨水や川の水を汲んで、トイレや簡単な洗い物用に使って凌いでいた状況でしたので(しかも大半は高齢者の方…)
水道が使えるようになった事を伝えると、中には涙を流して喜んでくれる方も。
普段地元で工事をしている時は、騒音や振動、通行止めや片側交互通行による規制などで
住民さんからは「苦情」が出る事はあっても、喜んでもらえる事なんてほぼ無いの日常ですが
我々が日々行っている工事は、ライフラインを整備していると言う事。
ライフライン=生活する為に必要なもの そんな事を実感した次第です。
今回は、川崎市の作業隊「第7班」として現地入りしましたが
我々の後の8次隊が、志賀町最後の区画の修理と通水を行った事で
3月2日の時点で、志賀町全域の断水が解消され(予定より1カ月早く!)
4日の段階で、水質に問題無いと判断され、飲用も出来るようになったようです!
微力では有りましたが、我々が培ってきた秘術と経験が、被災地の役に立てた事は
本当に喜ばしい事で、一緒に行った若手職長も、自分の仕事に誇りをもって
これからの業務に励んでくれる事でしょう。
現在、第2期派遣要請があり、被害状況が著しい「輪島市」で違う作業隊がが復旧作業中ですが
被災地の方々が、一日でも早く日常生活を取り戻せるように、出来る限りの協力をしたいと思っております。
ちなみに現地では、役所と業者と言う壁を取り払い、「一軒でも多くの家に水を届けたい」と言う
同じ目的に向かって、本当の意味での協力体制で作業にあたれた事も印象的でした。
最終作業日に、予定箇所全域の作業を終えた後、集合写真を撮りました
実はかなり無理の有る予定範囲だったのですが、全員力を合わせた結果、予定時間より早く完了し
皆、やり切ったと言う満足気な顔をしております。
最後に、今回の地震でお亡くなりになった方々の冥福をお祈りするとともに。
一日も早い能登半島復活を願います。